2017年 11月 11日

純粋な国内メーカー製パソコンはもう買えない時代になる、のでしょうか。

東芝は9日に経営再建策の一環として、パソコン事業とテレビ事業の撤退を検討している、と発表しました。

東芝は既に冷蔵庫や洗濯機などの白物家電事業部を中国のマイディアグループに売却しており、パソコン、テレビ事業からも撤退となると更なる規模縮小は避けられないと見られています。

実は東芝のパソコン事業部は2年ほど前に富士通、VAIO(Sonyからパソコン事業部門が独立して設立した「VAIO」ブランドパソコン専門の製造メーカー)と事業統合を模索してた時期があったのですが、結局この案は破談になってしまい、一方で2016年秋の時点では為替影響で黒字化と言うニュースもあり、規模は縮小傾向なれど再建化には明るいニュースとされてきました。

しかし今月9日に行われた9月までの決算発表では半導体事業部は非常に好調であるものの、これまでの債務超過を解消するには至らず、2018年3月末までに債務超過を解消する為にはこの半導体事業も売却する方針とされています。ただ、この事業売却には半導体事業部と提携しているHDDメーカーのウェスタンデジタル(WD)社が反対しており、事態を国際仲裁裁判所に提訴しています。

パソコン、テレビ事業からの撤退検討はこの半導体事業部売却が3月までに売却出来ない場合の代替策としてあがった案との事です。

 

東芝のパソコンと言えば「DynaBook」です。

「J-3100SS」の画像検索結果

↑東芝が89年に発売したJ-3100SS001、初代「DynaBook」

DynaBookと言う名前は元々ゼロックスのパロアルト研究所に勤めていた研究員のアラン・ケイが1972年に提唱した、本の様に手軽に扱えるパソコン、と言う意味合いを込めて命名したものです。この時に構想したDynaBookは今のノートパソコンの標準的な仕様をほぼ網羅しており、しかし70年代の技術ではこれを本のサイズにまではまとめる事が出来ず、デスクトップパソコンサイズにまとめた試作機が作られました。このパソコンは「Alto(アルト、右写真)」と名付けられ、後にこれを見たスティーブ・ジョブズはマッキントッシュを、ビル・ゲイツはWindowsを作るきっかけになりました。

東芝は1989年にそれまでのポータブルパソコンをさらに小型軽量化した、いわゆる現代的なノートパソコンの元祖ともいうべきパソコンを開発し、前段のアラン・ケイが提唱したDynaBookを目指して作った、と言う意味を込めて「ダイナブック」と言う商品名で販売し、これが20万円を切る価格で販売された事もあって人気商品になりました。

以後、東芝はノートパソコンにおいては世界的なブランドになり(但し、DynaBookの商品名は国内のみに限定された)、1994~2000年までの7年間はノートパソコンの世界シェア1位を続けるほどでした。

なので古くからノートパソコンを愛用されている方にとっては、東芝のパソコン事業撤退は単なる事業売却以上に感慨深いニュースと言えそうです。

因みに、東芝のパソコン事業撤退が現実化したとなると、純粋に国内メーカー製パソコンと言えるのはPanasonicとVAIO位になってしまいそうです。この他にもいくつかありますが、基本になるマザーボードを海外メーカー製のOEMに頼る、等、完全に国内生産とはいかない様です。

富士通もパソコン事業部を中国のLenovoとの合弁会社に移す、と発表したばかりですので、ますますもって国内メーカー製のパソコンは手に入りにくくなります。

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